千住のコンテンツ感想ノート

美術展・ゲーム・書籍等の感想

【喝采の呪い】オッペンハイマー【ネタバレ有り感想】

 数々の名作SFを送り出したクリストファー・ノーラン監督の新作です。私は監督の大ファンですが、今回はSFではなく伝記風の作品とのことで意外でした。原爆の父オッペンハイマー博士がモチーフのため、高い評価を得ながらも日本での公開までにひと悶着あったとのことで、どんな映画だろうと不思議に思いながら行ってきました。

 

(普段ならここに映画の公式サイトへのリンクを貼ります。が、映画館の告知やメディア記事ばかりで、見つけることができませんでした。そんなところからもこの映画の立ち位置がうかがえます)

 

 アメリカの政治に疎い私には、大変難解な物語でした。映画は三つのパートを行き来しながら進みます。

1.オッペンハイマー博士が国際スパイの容疑をかけられ、国家機密へのアクセス権(=教職を含む公職につく権利)を失うまでの「聴聞会」パート。裁判じゃないので被告を守る法律の類いが一切効きません。一方的尋問でした。

2.オッペンハイマー博士と原爆や水爆について意見を対立させる、ストローズ議員の出世がかかった「公聴会」パート。ストローズ議員を要職につけようという議決がかかった場面で、悪意から博士の国際スパイ疑惑を仕組んだことが明るみに出、出世のチャンスを失います。

3.オッペンハイマー博士の「過去」のパート。本作のメインです。学生時代を皮切りに、原爆の開発から、自分の作った原爆の投下に苦悩し、その後の原水爆軍拡に反対し、軍拡派のストローズ議員と対立を深めていくまでが綴られます。

 特に1.2.は繊細な知的・政治的攻防が繰り広げられており難解でした。ただ演出が巧みなため、いいことがおきたか悪いことがおきたかは素人にもはっきり分かるようになっており、本作のメインである3.を邪魔はしません。

 なんといっても見所は音と光による、オッペンハイマー博士の苦悩の演出でした。映画序盤から折に触れて爆発音のような轟音が不穏を運びます。本作のクライマックスである原爆の投下後のシーンで、それはオッペンハイマー博士を称える喝采であったことがわかります。博士には爆弾の投下が何を意味するかわかっていました。しかし原爆を落とすか落とされるかの瀬戸際で頑張ってくれた仲間をねぎらうため、気丈を繕って演説します。極度の緊張の中で万雷の喝采は爆弾の音に重なり、想像の世界で生涯博士を呪うのです。

 本作への批判として、原爆の悲惨が描写されていない、という意見があるそうです。私としてはこの作品のみそは、当時のアメリカでは誰も想像すらできなかった原爆の悲惨を、オッペンハイマー博士が幻影ながら想像できたことにあると思っています。誰よりも物理に詳しかった博士は原爆の莫大なエネルギーが何をしたか、想像の世界ながら実感を持って感じていた、現実との区別がつかなくなるほど苦悩した、そう描写されています。後半のオッペンハイマー博士の苦悩は観ていて息苦しくなるほどでした。知の力で見えない悲惨を想像せよ。それは反戦のメッセージとして明確で、映像作品として瑕疵はなかったように思います。

 世界では今なお戦禍が耐えません。オッペンハイマー博士のような、選択肢を奪われ、進むことも戻ることもできなくなった天才が人知れず苦悩しているかもしれません。この映画が戦火を消す一石になればと願いました。

 

 

 

神田茉莉乃作品集 間にある言葉

神田茉莉乃さんの作品に出会ったのは、伊勢丹新宿店アートギャラリーの展示「誰も開けなかったキャビネット」です。狙って行ったわけではなく、バレンタイン催事場の順番待ち中に偶然たどり着きました。

https://www.mistore.jp/store/shinjuku/shops/art/artgallery/shopnews_list/shopnews0460.html

 

f:id:senjunoriko:20240313180953j:image

この「飛ぶ視線、泳ぐ体」を見たとき、少しの間動けなくなりました。なんてことない部屋の片隅が目を向けるべき場所に変容して、特別の蛹みたいな作品です。もっとこの人の作品を見たい、できれば会って話してみたいと思いました。この人の作品には物語がある。しかしこの人が在廊していない今、この作品の重要な部分が欠落してしまっているような、そんな思いつきに囚われました。

 

すぐ近くに作品集の見本が置かれていて、手に取った瞬間買うと決めました。私はほとんど画集や作品集を買いません。インスタレーションを愛好する私にとって、写真集はその作品の一番大事な要素、その空間に私と在るからこそ映える部分が落ちてしまっているように思えるからです。しかし今回は逆に、なし得なかった対話は、作品の重要な部分はこれで補えるのではないかと思えました。

 

作品集はまる二ヶ月ほど経ってから手元に届きました。

f:id:senjunoriko:20240313181702j:image

大ぶりの正方形、厚手のトレーシングペーパーを間に何枚も使っており、明らかに手製本です。時間がかかったのは作っていたからなのでしょうか。待っている時間すら対話だったのかもしれません。

f:id:senjunoriko:20240313181757j:image

f:id:senjunoriko:20240313181805j:image

どこかたどたどしさのある手探りの言葉で、ご自身の活動のヒストリーが語られていました。このかたの作品は空間と響き合おうとしているのではなく、自他の境界と響き合おうとしているのかもなと思いました。展示会場で作品が自ら立たないのは、インスタレーションとしては未熟なのかもしれません。でも、作者と話してみたい、そう思わせる力は大変稀有に思えます。

 

経歴を見ると大学院を卒業なさったばかりのようです。就職なさったのでしょうか? 社会に出て、学校とは比べ物にならない数の人と対話した作者さんが、どんな作品を作るのかとても楽しみです。またどこかでお会いできますように。

 

 

 

麻布台ヒルズギャラリー開館記念 オラファー・エリアソン展

麻布台ヒルズに遊びに行きました。本来の予定ではなかったのですが、キービジュアルに惹かれつい吸い込まれてきました。

 

f:id:senjunoriko:20240222210804j:image

↑『蛍の生物圏(マグマの流星)』

キービジュアルにもなっている美しい本作、しかし展示室が明るすぎてあまり光をいかせていないのが少し残念でした。


f:id:senjunoriko:20240222210808j:image

↑『太陽のドローイング』

砂漠に大掛かりな装置を置き、太陽光のガラス玉への収斂で紙を焦がして作った作品。他にも「場」を転写する作品がいくつかありました。もし富豪になったら思い出の地をこうして転写してもらいたいです。


f:id:senjunoriko:20240222210815j:image

↑『瞬間の家』

噴水というと水の流れを楽しむものですが、本作は逆転の発想で、水にストロボを当てることで写真のように水の流れを切り取っていました。水の音と香りも心地よい作品でした。

 

事前に「展示規模の割に割高」との評判は聞いていましたが、確かにこれで1800円はかなりお高いですね……。


f:id:senjunoriko:20240222210801j:image
f:id:senjunoriko:20240222210811j:image

↑『相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』

ちなみにキービジュアルにもなっているこちらはギャラリーとは違うビルにパブリックアートしてあり、無料で見れます。角度ごとに飽きることない表情の変化を見せてくれました。

 

f:id:senjunoriko:20240224101231j:image

ギャラリーから相互に(略)への導線上には多くのパブリックアートがあり、とてもお散歩に楽しい場所でした。ヘザウィックスタジオの『雲』(右に見切れているアーチ)の下は工事中でくぐれず、落ち着いた頃また伺いたいです。

【境界なき鑑賞体験】チームラボボーダーレス

チームラボボーダーレスは、作品と環境の境界、作品と作品の境界、ひいては作品と鑑賞者の境界を取り払おうという挑戦的なインスタレーション美術館です。お台場にあった頃から大ファンで、2/9に麻布台ヒルズへ移転。ちょうど近くに用事ができたので早速行ってきました。

www.teamlab.art

なんといっても見所はあらゆるボーダーを消し去ろうとする大規模なプロジェクションマッピングでしょう。入場してすぐ、お台場の頃から画質・秒あたり描画精度・面積あたり描画密度のすべてがパワーアップしたと一目でわかりました。

f:id:senjunoriko:20240222205852j:image

↑写真左手が壁、右手が床です。びっしりと花咲くここも観客が歩く道です。

 

写真のような花が床も壁も人も関係なく咲き乱れる様は圧巻なのですが、さすがチームラボ、平日にもかかわらず人で混雑しており、人が映り込んでしまうためあまり広い画角では撮れませんでした。私語OK写真OKのため、始終感嘆の声や笑い声が聞こえていました。


f:id:senjunoriko:20240222205849j:image

↑左の方には光の滝があり、皆さんそちらを向いています。皆さんの足下にご注目。人の居る場所は彼岸花畑に変わってゆくのです。


f:id:senjunoriko:20240222205903j:image

↑私の足を避けて通る水流です。踵のほうは彼岸花が咲いては散ってを繰り返しています。

 

プロジェクションマッピングと言うと眺めるだけのイメージがあるかもしれませんが、この美術館で作品は私たちに感応し変化します。それに気付いた瞬間の「あっ」って人の顔を見るのもたまりませんね。さすがタッチパネル世代だけあり、触れると変化する仕掛けには子供の方が早く気付く傾向にありました。


f:id:senjunoriko:20240222205855j:image

↑壁を舞う虹色の蛍と蝶の群れ。触れると蛍は避け、蝶は儚く落ちてしまいます。

 

作品は緩やかに移動し、美術館中を巡ります。気に入った作品を「追って」ゆるゆる移動するのも一興。作品に途中で消えられたり壁を跨がれて途方に暮れるのも一興です。

そうこうしているうちに動かない作品に辿り着くのも楽しみです。下の写真は宣伝ポスターでご覧になったかたも多いのではないでしょうか。地図はないので狙って辿り着くのは至難の業です。

 

f:id:senjunoriko:20240222205859j:image

↑ちなみにこれ、床を撮ってます。鏡張りが多いのでスカート履きはおすすめしません。

 

作品群には文句無しの大満足ですが、美術館としてのオペレーションには少しクレームしたいです。

QRチケットでゲートを潜ろうとしたら目視でチケットを確認する列に並びなおさせられたり、待合がないため順番待ちの人が周囲の店先にたむろしていたり、隣の千疋屋での食事中までスタッフの大声が聞こえていたり、ボーダーレスがテーマとはいえ他店とのボーダーを侵すのはよろしくないと思います。

逆に外国人観光客が沢山来てくださっているのに、スタッフに翻訳機も持たせないばかりに、大声の注意喚起も日本語だけなので効果なし、日本人にだけマナーの注意をしているスタッフがいたりとそこはボーダーレスにしてくれよと思いました。

オープンしたばかりとはいえ、チームラボの施設はもう五つを超えたはずです。素晴らしい作品群を活かすためにも早急な改善を望みます。

www.teamlab.art

【ネタバレ注意】鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎【感想】

 みなさんヤバい村の話は好きですか? 私は大好きです。このジャンルは最近「因習村」としてだいぶ認知されてきましたね。正月休みということで、最新の良質因習村として名を馳せた本作を観に行ってきました。結論からいうと大満足です!

 

www.kitaro-tanjo.com

 

 あらすじとしては、戦争帰りのサラリーマン水木が、謎の製薬会社の社長一族が住む村、哭倉村に潜入する話です。メタ的な話をすると「ゲゲゲの鬼太郎」の主人公である鬼太郎の誕生とその父のエピソードという触れ込みのようですが、ゲゲゲの鬼太郎をよく知らなくても楽しむことができるあらすじになっています。

 

 オープニングから既にタバコの煙、食べ物、物音といった細部まで昭和末期を再現しようという意気込みが伺えました。また、村の門をくぐる雑誌記者や水木の足元が必ずアップになるのですが、これも「戻れない場所への線を跨いだ」という因習村のお約束のようなもので、そのジャンルに詳しい方が丁寧に作り込んだことをうかがわせます。安心して世界観に浸ることができました。

 また、それでいて、アニメ映画らしい型破りのアクションシーンが見事でした。もう一人の主人公であるゲゲ郎(仮名)は幽霊族という妖怪の類であるとのことで、最初は温厚そうな昼行燈に見えますが、いざ戦うと人ならざる怪力と俊敏さを見せてくれます。ギャップがたまりません。ゲゲ郎の戦いは一見残酷に見えますが、なるべく苦しめず一撃で仕留めるせいであり、かえってその温厚な性格を裏打ちするもの、という仕掛けもにくいです。

 因習村は時にツッコミ不在のままその常識はずれを加速させていき、それが苦痛であり醍醐味であります。しかし本作は令和に生きる視聴者が気持ち悪いなと思うようなシーンでは主人公の水木が思いっきり気持ち悪そうな顔をしたり嘔吐してくれます。どうすれば因習村初心者にも観やすくなるか、高度な工夫と配慮を感じます。またヤバい村は滅ぼされ最終的には怨霊といったファンタジーの文脈に収束するので、後味もかなり軽やかですね。

 

 「大変優秀な初心者向け因習村だが、因習村なので人には勧められない」という非常に絶妙な本作がなぜここまでの大ヒットをきめているのか不思議です。ミッドサマーの流行によりヤバい村を受け入れられる観客が激増したからでしょうか。ヤバい村ファンとしては本作のような素晴らしいハイブリットが次々と生まれてくることを願ってやみません。

www.kitaro-tanjo.com

 

現代アートの教室へようこそ『ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会』

森美術館の展示にはハズレがありません。夏休みにあわせていかにも初心者向けの展示が開催されると聞き、飛んでいきました。

www.mori.art.museum

タイトルの通り現代アートを学校の科目(タイトルにはありませんが哲学、総合、体育、音楽なども挙げられています)にたとえて分類し、昨今の潮流を俯瞰的に眺められるようにした特別展です。解説パネルがかなり丁寧に書かれており、見どころがわからなくても挑めるように作られていました。とはいえ難解な作品が多く、決して初心者におもねってレベルを下げた雰囲気はなく「解説読んでしっかり勉強してね!」という講義の雰囲気すらありました。

 

f:id:senjunoriko:20230815120215j:image
f:id:senjunoriko:20230815120222j:image

↑『概念の形0011 球面上のメビウス変換』 杉本博司

算数セクションに配されていた、数式が示す軌跡を立体化した作品群。数学の得意な夫に「どう?」と聞いたところ「うん、これになると思う、すごいね」とのことでした。数式の美しさを知っていても図示ましてや立体化するのは骨が折れるらしく、数学好きには刺さったもよう。数3Cまでしか履修していない私にはそもそも知らない記号が多かった。しかし素人目にも緊迫を感じるほどの端正は、数式を再現するという姿勢からしかきっと生まれ得ない。アートと学問は決して相反するものではないという、この特別展らしさを最も感じられる作品だった。



f:id:senjunoriko:20230815120212j:image
f:id:senjunoriko:20230815120218j:image

↑『ドゥー・ナット・ダイアグラム』笹本晃

同じく算数セクションの映像作品。他の展示を「喰う」ほどの存在感を放っており、展示後半の雰囲気を決めてしまうほどだった。バランス感覚に優れた森美術館でこんなことは珍しい。難解さも群を抜いており、森に浮かぶドーナツにベン図が書き足されたり突然消えたりドーナツを潰してNOT A部分を染め始めたりと不合理。しかしなぜか目を離すことができず、二十分以上ある全てを見てしまったし、何も考えることができないことでなぜか癒された。

 

f:id:senjunoriko:20230815120205j:image

↑壁側:対話 床側:関係項 李禹煥(リ・ウファン)

哲学セクションに配置されていた、モノ派の巨匠の作品。その高名は私の耳にも届いていたが、作品を見るのは初めて。美術館を愛好する理由が「ありえないところでありえないものと出会い精神を拡張したい」である私が、繊細に掘り込まれた彫刻でも丹念に築きあげられた巨大建造物でもない、ガラス板と石に「あ、これが欲しかったんだ」と思わされた。おそらく人生が変わってしまったと思う。大抵の展示は作品に目が釘付けになるが、ここは周囲の空間すべてが作品だった。視野と精神の縁が強制的に広がった。空間を変容させるインスタレーションの極地を見てしまった。この感覚は写真には写らないので、ぜひ現地で見てほしい。

 

f:id:senjunoriko:20230815120209j:image

↑『Root of Steps』宮永愛子

理科セクションの、蒸発しやすい物質で作られている靴たち。森美術館にゆかりある人々が履いていた靴から型取りされているようだが、すっかり穴だらけになっていたり、展示ケース内側に結晶が張り付いて何も見えなかったり。でも確かにそこにあったのだ。人との出会いを儚く、美しい形で表現していると思った。

 

 

写真は撮っていませんが、森美術館の十八番である「芸術から社会を見る」という観点が活きる社会科セクションの展示が特に充実していました。風刺や社会批判のエッジが鋭すぎて私の力量ではとても感想を書けません。美術館を飛び出しての体験型作品もあり、ここで収まる気のない熱に溢れています。

 

お盆ということで最初は行列を覚悟しましたが、ほとんどの人は同時開催のディズニーへ流れ、こちらは余裕を持って鑑賞できました。お盆休みがまだある人は、ぜひ訪れてみてください。

www.mori.art.museum

【ネタバレあり注意】機動戦士ガンダム 水星の魔女【人生初ガンダム感想】

私の好きそうな話だと教えていただき、人生初のガンダムを観ました。とても面白く最終回まで追いかけてしまいました。

g-witch.net

 

最後まで観てから振り返るあらすじとしては、娘のためにこの世とあの世を近づけようとする魔女と、その魔女に手段として作られた別な娘、別な意味でこの世をあの世に近づける「戦争シェアリング」の大本営だった財閥の娘が、互いの心を乱すことで生まれる物語でした。

 

作中世界ではインターネットとは別のパーメットリンクという通信網が存在して、正確なところが定かでないまま使われていることがうかがえます。パーメットは人間の精神との親和性から高速・正確な通信を可能とする反面、過剰に接すればその情報量から精神を焼き切ってしまうようです。パーメットへの高い親和性を持つ幼子のエリクトが戦争の影響で死に瀕した時、母親はパーメット網にエリクトの精神を転移させ、その後いつしかエリクトの居場所としてこの世を人間が耐えきれぬような密度のパーメット(データストーム)で満たしてしまおうという野望からヴィランになったと思われます。このあたりの流れも説明は丁寧ながら難解で、ロボットバトルとして存じていたガンダムがこんなにハードなSFだとは思わずびっくりしました。

 

エリクトのクローンとして生まれたスレッタが学校に入るところから本編はスタートします。特筆すべきはここで出会い、ヒロインとなるミオリネの存在です。ミオリネは戦争の主導権を握る大財閥の娘で、経営学に精通しながらもエンジニアリングは疎く、ロボット兵器の操縦もできず、物語序盤時点では戦争を目の当たりにしたことはありません。戦争やパーメットの世界に高い縁と親和性を持つ言わば「魔性の」スレッタやその母と違い、彼女は徹底的に金と権力の「冷たい現実」に生きる申し子です。あの世しか見ていない母親と、この世しか知らないミオリネの間に挟まれて、どちらへの理解も諦めないスレッタの努力のよって物語は進んでいきました。

 

終盤にはデータストームに触れると死んでしまった人に逢えるという演出が見られます。パーメット粒子は宇宙に広く存在しているので、生きた人間には知覚できないだけで死んだ人たちはいつも側に居たんだとも言い換えられると思います。パーメットを濃く偏在させてこの世をあの世に近づけずとも、遍在するパーメットと変わっていくこの世に魔女が納得した、そんなラストに思えました。いなくなったエリクトを受け入れるのかと思いきや、この世とあの世の狭間の存在としてエリクトが在り続けたので驚きましたが、これも魔性の母と現実をゆく婚約者ミオリネの架橋となるスレッタがいたからこそのラストなのかもしれません。このラストが一時的な解決でなく世界を落ち着けたのは、大規模な財閥解体を行ったミオリネなしでは成し得なかったものでした。

 

スレッタや他の登場人物の思想信条が、その変化が、ロボット兵器での戦闘スタイルに反映されてくるというのが、この作品の醍醐味でしょう。難解な設定の傍ら視聴者を置いてけぼりにしないのは、こうした体で表現する、動きでわからせる演出の成せる技だと思います。舞踊のように心を直裁に表現するバトルシーンは、この作品に不可欠なのです。なぜガンダムシリーズが長く愛されるのか、その一端を見た気がします。浅学なせいで読み取れませんでしたが、きっと登場人物が選ぶ機体の機能や装飾にも思想信条と成長が反映されていて、故にプラモデルが人の心を掴んで離さないのは想像に難くありません。

 

ガンダムシリーズの創始メンバーもご高齢と聞きます。ロボットバトルによる思想のぶつかりあいという表現様式は、CG技術の進歩によりまだ伸び代を残すように見え、素敵な後継者が育つのを願ってやみません。次のガンダムもぜひ拝見したいです。

g-witch.net