千住のコンテンツ感想ノート

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【今更観ました】君の名は。【感想】

『天気の子』がとっても良くて、他の新海作品も観たいなぁ。そう思ったまま一年以上経ってしまいましたが、やっと観ました。『君の名は。

 

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 ↑『天気の子』を観たときの感想です

 

あらすじとしては、都内の男子高校生の瀧が、田舎で巫女として暮らす女子高生の三葉としばしば入れ替わるようになり、二人の間に特別な感情が芽生えていくというものです。瀧は入れ替わっていたときの記憶を頼りに三葉を探しに行きますが、その街は三年前に隕石の落下で壊滅していました。過去の三葉と入れ替わっていたことに気付いた瀧は、三葉たちを悲劇から救うため奔走します。

 

見所はなんと言っても綿密な伏線です。早ければ三葉の故郷の俯瞰図から、そして三葉の巫女舞から、この田舎が過去にも隕石災害に見舞われたこと、そして未来の災害に備え家系に人格のいれかわりが「組み込まれた」ことが伺えます。『天気の子』もそうでしたが新海作品はデウス・エクス・マキナを古の文明にしてまとめるのがとても上手いです。

 

人格の入れ替わり自体は公式サイトやティザー時点で公開されているあらすじです。しかし田舎と都会、男子と女子という強烈なコントラストに目を奪われ、初見でタイムスリップの要素に気付ける人はほとんどいないのではないでしょうか。自分も三葉の携帯の型式が古いのは田舎のせいだと思っていました。都内住みの瀧がテレビでニュースを見ないことに違和感すら覚えませんでした。わかっていると思っていたカラクリがわかっていなかったと知らされる、瀧が隕石湖に辿り着くシーンのぞくぞく感はたまりませんでした。

 

多くの神話で両性偶有は完全の象徴です。この作品もそれを踏まえていることが伺えます。入れ替わっている間に友人関係や恋愛が進展し、魅力を増していく瀧と三葉。三葉の死で入れ替わりが起きなくなったとき、文字通り二人は「半身を失くした」のだ、と観客は突きつけられます。

人はどんな相手に恋をするのか、という説明のひとつに相補説というものがあります。簡単に言うと自分の欠けたところを持っている相手に惹かれるという説で、相補説という言葉を知らなくても多くの人がなんとなく納得している現象かと思います。そういう意味でも二人が惹かれることに自然さがあってよかったです。

 

また、大きな装置のひとつとして、瀧も三葉も互いの存在をすぐに忘れてしまうことが挙げられます。

「いるはずの大切な人の存在が曖昧」というシチュエーションは米津玄師の十八番で『ドーナツホール』『ペトリコール』など複数の名曲があります。

 

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↑あらためて聞いたら思った以上に『君の名は。

 

この映画を見るまでは、このシチュエーションってどういう方向のロマンなんだろうと不思議な気持ちでした。自分が経験したことのない、経験しそうもない感情だけに。愛する人の記憶が欠けてしまう映像作品を見ても、どちらかというと記憶探しとドンデン返しにスポットがあたっており、うまく感情面を押し出せていないことが多かったように思います。

 

しかし『君の名は。』を観た今なら「これは喪失と飢餓の良いとこ取りなのだ」と声を大にできます。失恋でも死別でもない、絶妙な温度感で両方の良いとこ取り。自然にすれ違いもできる。そしてどっちも当然に無事でよく、再会のカタルシスまで用意できる。恋愛ものの醍醐味を全部一作品に埋め込めます。強い。

 

 

実は『君の名は。』が始まって真っ先に浮かんだ感想は「新海監督ほどの人でも数年経つと絵がうまくなるんだなぁ!」でした。数年後は『天気の子』より美しい絵が拝めるかもと思うと、次の作品も楽しみになりました。