千住のコンテンツ感想ノート

美術展・ゲーム・書籍等の感想

【大学中退から学位】単位積み上げ型学士になる

仕事の関係で「単位積み上げ型学士」という制度のことを知りました。
大学中退の自分でも、残りの単位を集めてレポートを作成すれば
学士と同等以上の学力があることを証明してくれるというではありませんか。

人事に聞いてみると、学歴が上がれば昇給もあるとのこと。
やるしかない、そう思いつつも、あまりにも情報がなさすぎて
一年くらい足踏みしていました。


無事に学位を得た今、私がすべきことは情報を残すことだと思いました。


私が大学を中退した理由はいろいろありますが、
最も大きな要素は「バリアフリーの不足」です。
どうして講義室で寝ている人は学士になれるのに、
講義室に辿り着けなかった私はだめなのだろう?
スロープに自転車が止まっていて通れないのも、
障害者用駐車場が埋まって車から降りられないのも、
迂回に疲れ切って動けないのも、
私が悪いわけじゃないのに?
しかし誰に呪われたのやら心のどこかで
「障害を理由にするのは甘え、中退したからには学力が足りなかった」
という呪いに苦しんでいました。
でも今は「違う」と自信をもって言えます。
困難に遭って大学を辞めたあなた、次はあなたが呪いを解く番です。
まだ困難として数えてもらえない静かな苦痛を抱くあなたも含みます。
私はぜんそく持ちでしたが、当時は喫煙所があると発作が起きてバリアだなんて
言っても誰も相手にしてくれませんでした。今はほとんどの大学が禁煙です。
時代は変わります。きっとあなたの番も来る。
この申請もまた高度な計画性が要求されて、発達障害の方にはバリアでしょう。
少しでもヒントになればと当たり前の段取りまで書きました。
ひとつずつやっていきましょう。


以下、大学改革支援・学位授与機構のことはNIADと略します。
2024年現在の状況で書かれているので、時間が経つと変わるかもしれません。

 

1.「新しい学士への途」「学位授与申請書類」を手に入れて申請区分を知る

NIADのウェブサイトにアクセスして書類一式を手に入れましょう。

単位積み上げ型の学士の学位授与制度 | 学位の授与 | 独立行政法人 大学改革支援・学位授与機構

正直、こんなに長い書類を読み、自分がどれに当てはまるか考え、
手続きを完遂できるならばあなたは確実に学士と同等以上の学力があるでしょう。
既に審査は始まっているのかもしれません。

紙の資料もあり、様式の一部が紙で必須なのですが、
最新版が手元に届いたのは3月でした。
それから準備を始めたのでは4月の提出に到底間に合いません。
毎年そう大きくは変わらないはずです。昨年度版を読んで作戦を立てましょう。

まずは前の方のページにある概略図から基礎資格の区分を割り出しましょう。
既に持っている学歴によって申請区分がわかれます。
私と同じ大学中退なら、第3区分「学生として大学に2年以上在籍し~」が
当てはまるかと思います。

自分がどの区分かわかったら、いったん「新しい学士への途」は閉じて、
「学位授与申請書類」PDF版を開きましょう。
申請時に同封する申請書類チェックリストが手に入ります。
チェックリストにあるもの全てが揃うこと、それが目指すゴールです。
ここから逆算して行動を始めましょう。
時間のかかるものから洗い出します。
多くの第3区分の人は在学年数や単位数が足りない予感がするでしょう。

 

2.目指す「専攻の区分」を決める

「新しい学士への途」に専攻の区分の一覧があります。
在学年数や単位数を稼ぐにあたり、まずはどの区分の単位を稼ぐか決めてしまいましょう。

大学中退の場合、専攻していた学問の続きをするのが早いと思います。
しかし決めようにも、持っている単位もうろ覚えかと思いますので、
取得単位の証明書を取り寄せてしまいましょう。
チェックリストにもある必要書類でどうせ使います。
たいていの大学は郵送での取り寄せに対応しているはずです。母校のウェブサイトを訪ねましょう。

持っている単位を眺め、専攻の区分を決めたら、持っている単位の振り分けをしましょう。
専門、関連、実習等、どの種別の単位が足りていないかを調べます。
NIADのウェブサイトの「申請時の提出書類、申請後の各種手続きに関する書類の様式等」のページに「単位修得状況等申告書(事前確認用)」があります。
細かい作業ですが説明を読みながらがんばってください。
これも申請でどうせ使います。
丁寧にやっておくと、申請本番はコピーペーストするだけになり、楽になります。


2.5ノートパソコンを手に入れる

スマフォから「単位修得状況等申告書(事前確認用)」が使えませんでしたか?
この先の作業はパソコンがあった方がよいです。
公共施設や職場のパソコンでは融通も利きませんし、
マルウェア(コンピューターウイルス)がうつったり、
逆に怪しいサイトと認識されて学位申請システムに入れない可能性もあります。

文系や芸術系ではパソコンなしで学習している方も多いと聞きます。
仕事で使うこともないと、よくわからないかもしれません。
おすすめの買い方はこうです。


「WordとExcelが使える、13~15インチのWindowsのノートパソコンください」

  • Wordは文書の作成に秀でたソフトで、学修成果(レポート)の作成に使います。
  • Excel表計算の得意なソフトで、前述の単位の確認や、ちょっとした計算に便利です。
  • 13インチは紙で言うとA4サイズです。これより小さいと見づらい、大きいと運びづらいと思います。
  • Windowsにしてください。Mac版のWordとExcelは若干挙動が違うため、人に教わりにくくなります。周りにMac使いのほうが多ければこの限りではありません。
  • ノートパソコンのほかにタブレット+キーボードを勧められるかもしれません。タブレットの方が安いかもしれません。店員さんと相談してください。
  • また、キーボード入力ができずフリック入力しかできない場合も店員さんに要相談、タブレットなら種類によってはできるかもしれません。

あと大事なことなのですが、ドン・キ〇ーテのような雑貨屋や中古、ネット販売ではなく、家電量販店の店舗で買ってください。
安いものは、セキュリティに穴があったり、古くてWordとExcelや学位申請システムがうまく動かない可能性があります。

ノートパソコンはWi-fiに接続するか、携帯電話の「テザリング」という機能でインターネットにつなぎます。
ギガをめちゃくちゃ消費するので、これを機におうちにWi-fiを導入しても良いと思います。
パソコンと一緒に買うと安くなったりするので、店員さんに相談してください。


3.在学年数と単位を取りに行く

足りない在学年数と単位を割り出せたら実行に移しましょう。
おすすめは放送大学の選科履修生になることです。
専攻の区分によっては無いかもしれませんが、
欲しい種類の単位が取れそうなら最速・最安値かと思います。
何よりのメリットは、入試がないので共通テスト対策からやり直す必要がありません。

足りないのが数単位ならお近くの大学で社会人向け講義に申し込むのもありですが、
お値段を見てひるむと思います。
放送大学だと同じ値段で一年在籍できるでしょう。
放送大学は放送講義で試験もリモートなので、かなり融通が利きます。
スマートフォンからも講義が聞けます。

単位の振り分けで専門科目、関連科目、その他のどれが足りないか分かったと思うので、解釈が微妙に分かれるような科目を選ばないようにだけ注意かと思います。


3.5.静かに勉強できる場所を探す

大問題。甘く見れません。

茨城県つくば市にお住まいでしたら、つくば駅前のco-enがおすすめです。
予約すると使えるコワーキングスペースのほか、勉強OKの喫茶店もあり、
市のコリドイオはふらっと立ち寄って使えます。県のフリーWi-Fiが使えます。

博物館や研究所の類は図書室を開放しているところもあり、
ご自身の専攻分野と違っても、年間パスポートを買ってお部屋だけ借りるのもありだと思います。
大きな図書館のある自治体だと、自習室を借りられたりもします。

 

4.学修成果(レポート)を作成する

場合によっては単位を取るより時間がかかるかもしれません。
レポートの書き方をすっかり忘れてしまった人や知らない人は、指南書を読むことから始めましょう。
おすすめは下記の書籍です。大変お世話になりました。

「新しい学士への途」にも記述があると思いますが、指導教官を探す必要はありません。
逆に言えばテーマ設定、調査、執筆、すべて自力でやらねばなりません。
自分は昔からレポートが得意だったので苦労なくできてしまい、
かえってここに書けることがなく心苦しいです。

レポート作成には参考文献が要ると思います。全部買っていたら財布がもちません。
お近くの、ご自身の専攻と近い学部を持つ大学か研究所の
図書館の利用を申請しておくとよいかと思います。
利用料金や条件は場所に拠りますので、検索してみてください。
おおむね社会人にも広く開かれているはずです。

お近くの大学で単位を取ることに決めて、学生に準ずる身分が貰えた場合、
eduroamの使用を申請しておくとよいです。
簡単に言うと、全国の大学・研究所共通で使える関係者向けフリーWi-Fiです。
よその大学図書館等でレポートを書く際とても便利になります。
申請方法は学務に聞いてください。
残念ながら放送大学はeduroamの共同体に加入しておらず、申請できません。

また、NIADのウェブサイトの「申請時の提出書類、申請後の各種手続きに関する書類の様式等」のページにレポート本体と要旨の様式があるので、ダウンロードして使うと間違いがないです。
ここでWordが必要になります。


5.各種証明書を集め、提出

単位の取得が終わっていなくても、レポートができていなくても、
4月申請なら年明けには動いた方がよいです。

いくつかの書類はコピー不可で、
申請にはNIADのウェブサイトから紙の冊子を取り寄せる必要があります。
たまに見に行って、紙の資料の発行が開始されたら申し込んでください。
でも先述したとおり3月まで来なかったので、昨年度版を見ながら支度を進めてください。

4月申請の場合、年度末に入ってしまうと学校が忙しくなり
退学証明書などを請求してもなかなか送られてこない可能性が高いです。
年が明けたらもう取得に動いてしまってよいと思います。

住民票は、マイナンバーカードがあればコンビニで取れますが、
ない場合は役所に行く必要があり、やはり年度末は混むので、早めに動きましょう。
三カ月以内のものが必要なので早すぎてもだめです。

ぎりぎりで冷や汗をかいたのは、最後に在籍した放送大学
単位取得証明書と退学証明書でした。
3月末に退学したのに、書類送付の〆切は4月5日。
お取り寄せでは間に合わないので最寄りの放送大事務室まで行きました。
急に休めない職種のかたはご注意を。

提出物の一部はインターネット経由での提出となります。
特に単位の関係がめちゃくちゃ面倒くさい。
数年後にはよくなっていることを祈るばかりですが、
パソコンの操作に慣れていない方は数日がかりになるかもしれません。
データの提出期間は短く、郵送より先に済んでいる必要もあるので、
提出期間スタートと同時に手を付けるのがおすすめです。


6.小論文試験、結果

レポートと書類を提出したら、小論文試験の受験表を待ちます。
5月下旬に受験票が届き、試験日は6月上旬でした。

小論文試験を受けたことがない人は、参考書を買って練習しておく方がよいです。
レポートの内容について込み入った問題が出され、筋道だった文章をその場で考え、90分ひたすら手書きしていく試験です。
正解がひとつじゃない上に独特の様式美があるので、やったことがないと苦戦すると思います。時間配分も独特のコツがあります。
こんな長文ブログを平平然と書いている私でも、手の疲れと焦りで字がぐちゃぐちゃでした。

小論文試験の問題は一人ひとり違うものが出題されます。
ネットのうわさでは「本人確認程度の難易度」「レポートの要約問題が出る」
などと言われていましたが、両方違いました。
看護の人はうわさ通りだったそうなので、分野によって違うのかも?

ちなみに私が書いたレポートは、保険衛生学のうち検査技術科学のものです。

医学検査の非侵襲化(危害をなるべく減らすこと)の重要性を述べ、
よく行われる検査について侵襲の観点から特徴をまとめ、
それぞれの検査について非侵襲化のアイディアを述べました。
そして総括として調査考察の過程で見えてきた新たな観点で非侵襲化の重要性をまとめ、また、非侵襲化のアイディアには共通する部分があるため、ガイドラインにまとめることを今後の課題としました。

そして出た小論文問題は下記二問です。
 ・検査の長い歴史の中でレポート内に述べられたような非侵襲化がなされていないのはなぜだと思うか
 ・もしレポート内で述べたアイディアで非侵襲化がなされた場合、従来の検査と比して優れているか検討するための研究を考えよ
要約問題どころか、私のレポートで書かれていない弱点そのものでした。
前提不足と定量性不足を指摘されたようでものすごい脂汗をかきました。
作った回答の要旨はこうです
 ・古代ギリシャ時代から医師ではなく理髪外科医が検査の一部を担っていたように、そして今も医師と検査技師は分業され、また技師は圧倒的に大卒未満の学歴が多い。そのため検査の現場に立って患者の苦痛を見ている人に研究や論文発表の技術がない。また一度現場の技師になると研究をしている暇がない。医師と技師、現場と研究の分断がずっと続いている。

 ・感度・特異度、検査離脱率などの測定を念頭に二重盲検法を行う。特に侵襲性の評価においては質問紙による尺度評価や自由記述も大切。具体的には…。

何百字くらい書いたでしょう? マス目のない解答用紙だったのでわかりませんが、A4の紙を三枚使いました。


小論文試験が終わったらあとは結果を待つだけです。
採点速報や合格発表はないので待つしかありません。

8月下旬に大きな分厚い封筒が、学位記がいきなり来てびっくりしました。
ふっかふかの専用ケースに入った立派な賞状がもらえます。
職場には同封の学位取得証明書を出せれば十分なのですが、
職場によっては「なんだこのあやしい資格」となるのを見越してか
「大卒相当だよ」と説明するパンフレットも同封されていました。
ありがたく一緒に提出しました。

ちなみに会場で知り合ったかたによると、落ちたときは通常サイズの郵便が来たそうです。

 

なんだか好き勝手に書き散らしましたが
少しでも誰かのヒントになれば幸いです。
がんばってくださいね。きっとできます。

 

 

【博物館の現代アート】内藤礼 生まれておいで 生きておいで【展示と背景・反転の功罪】

 現代アートの大家の一人である内藤礼の展示が都内に来ると聞き、行ってきました。場所はなんと美術館ではなく東京都国立博物館。一体何をするつもりなのだろうと興味を引かたのが主な理由です。

 

www.tnm.jp

 

 国立博物館のある上野は美術館や博物館が密集しており、駅からの道中はそれぞれの目玉企画展のポスターを何度も目にすることになります。しかし内藤礼展のポスターは一度も見かけませんでした。

 

 会場は撮影禁止とのこと。拡散をSNSに頼る今どきの現代アートでは珍しいです。やはりあまり前面に出す気がないのかな、と思いながら入場しました。

 

 展示は三部屋に分かれていました。

 一部屋目は、薄暗くされた通路に展示側の明かりがぼんやり差し込む部屋。展示ガラス内には自然光のみでライトアップされていない土器片や風船が置かれ、ガラスに枝が立てかけてあります。そして通路側にはふわふわの毛糸玉や風船がガーランドのようにつるされ、風船は観客が歩くたびわずかな空気を受けてかすかに揺れていました。

 現代アートでは価値の反転がよく用いられます。数億の値がつく落書きや便器のような、社会的地位の高いものと低いものの反転。インスタレーションが得意とする、観るものと観られるものの反転。そして、主役と脇役の反転です。一部屋目の展示は、本来博物館では脇役であるはずの、光、通路の空気、ガラスと鑑賞者の境界、そういったものに視線を向けさせる展示に見えました。

 しかし謎は深まるばかりです。どうして博物館の本来の仕事である展示物ではなく、脇役に注目を向けるような企画を? 二部屋目へ移動する際には通常展示を通るのですが、脇役に目が向くモードになってしまった私はまったく集中できず、地震計をぼんやり眺めたりしていました。博物館と相性が悪すぎる感じがしました。

 

 二部屋目は通常展示の部屋と部屋を繋ぐ通路にあたる、自然光のさし込む廊下でした。廊下の真ん中に木の板が置かれ、その上に水の満ちたガラス瓶が置いてありました。両脇を二人の監視員さんが守り、博物館の通常展示を通ってきた「物を観る」モードになっている人たちが近づきすぎないよう制止したりしていました。多くの人が真面目な顔で瓶を見つめていました。この博物館に飾られているのは、日用品に見えてもゴミに見えても貴重な史料ばかりです。そういうスタンスの通常展示に挟まれた、ガラス瓶。当然通常展を見に来た人は敬意を持って見つめます。私には、内藤礼展の一部がこの場所にあることが、どうにも意地悪く思えてしまいました。先ほど述べたように現代アートは主役と脇役を反転させる機能や、貴重と平凡を反転させる機能があります。ガラスや水、壁に貼られた小さな鏡はどれも光を受ける器で、光に注目を集めることができますが、その用途は本来のものではないし、展示は今ここにある器自体に価値を付与したわけではありません。それを内藤礼展に参加したわけではない、覚悟なく通る人たちに誤解させるのは、博物館の「ここにある物はすべて博物学上の意味がある」という大切なスタンスに傷をつけていると感じてしまいました。

 

 三部屋目は石造りの大展示室でした。シャボン玉を思わせる小さなガラス球が無数につるされ、普段は脇役に徹している展示の広さや高さ、明るさを全身で浴びることができます。非常に気分のよくなる展示で、多くの人が木の板(座れる展示)の上で物思いにふけっていました。「恩寵」は壁に小さな布きれが貼り付けてある作品で、パンフレットには「息を吹きかけることができます」と書いてありました。博物館の壁に近寄り、息を吹きかける。布きれがめくれる。普段の博物館にはしない関わり方です。これも主役と脇役の反転という意味では楽しかったですが、果たして博物館への敬意を損なっていないかは疑問が残りました。

 

 三部屋回ってもやはり「なぜ博物館で」という疑問は解けないどころか、「博物館でよかったのか」という疑問が残る形になってしまいました。本展は銀座エルメスでの展示へと続くようです。どうするつもりなのか、少し気になってはいます。

 

https://www.hermes.com/jp/ja/content/maison-ginza/forum/240907/

 

【環世界を拡張する喜び】暇と退屈の倫理学【他者へ開く世界】

学生時代に読んだ『中動態の世界』の作者の新作が文庫になったと聞き、すぐに買い、しかし積ん読していたものをやっと読みました。今の仕事に就いて三年目になり、暇と退屈が現れ始めた、読むべきタイミングだったのだと思います。

 

 

内容はタイトル通り、暇と退屈について考察する哲学書です。しかし哲学的教養がなくても理解できるよう至って平易に書かれており、読み物として大変面白かったです。難しい本やゲームの場合、私はここで自分なりの解説を書いたりもしてきましたが、この本にそんなことは必要ありません。本当に簡単で面白いです。なので自分語りをします。

 

私は脊髄損傷で寝たきりとなった時期がありました。腕すら動きませんでした。世界はベッドの天井に閉じ、圧倒的暇と退屈に襲われ、今思うと狂気のさなかに居たと思います。人の精神が遊動生活を基礎としてデザインされているとすれば、私が被った「ぴくりとも動けない」という損傷は人間性を根本的に損なう大ダメージだったことでしょう。哲学的な「疎外」という概念・言葉は本書で初めて知りましたが、私の体はずっと人間らしさから弾かれる苦痛を知っていて、語る言葉を求めていたように思います。

 

障害を残しながらも少しずつ自由を取り戻した私はいつしか貪るように書物、ゲーム、現代アートといった芸術を求めるようになりました。「精神世界の拡張ほど楽しいこともない」口癖のように言っていた私を、この本は考察の中で強く肯定してくれたように感じます。本書で引かれていた言葉を使えば、ひたすらに受け取り、受け入れ、考え、移動できる環世界を増やすことを是とした私を良しとしてくれた、でしょうか。

 

芸術に触れる中でどうしても目を閉じては通れなくなった社会問題の数々。労働組合に入ったり、過剰労働がテーマの創作をする中で生じていた「自分が活動に参加したくなったのは正しいのだろうか」という迷いにも、この本は「大丈夫」とお墨付きをくれたように思います。考え続ければどうしても、そちらにいくものだ、と。そして、社会の歯車を良い方向へ回すベクトルの一部となれるのだ、と。

 

哲学書から暖かな肯定を貰えるとは思いませんでした。「哲学書で涙するとは」とかいう全面帯に眉をひそめていただけにちょっと恥ずかしいですが、読んでよかったです。

 

 

 

『中動態の世界』の方も大変面白くおすすめですが、『暇と退屈の倫理学』に比べるとちょっとだけ難しいです。犯罪心理学とか精神医学の基礎知識があるとスッと入ってくるレベル感です。

 

 

【やがて私になるために】ガラージュ GARAGE: Bad Dream Adventure【ネタバレ・性暴力描写注意】

カルト的人気作がニンテンドーSwitchに移植されたと聞き、発売日に購入しました。遊びやすい機体への移植大変ありがたいです。

 

【注意】作品全体に性暴力の描写があり、この先にも言及があります【注意】

 

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あらすじは上記リンク先の通り、精神治療装置「ガラージュ」にかけられ、閉じ込められた世界を探索するRPGです。装置に入れられるオープニングでは「ヤンさん」と呼びかけられていた主人公ですが、操作開始時点では満身創痍で記憶をなくしており、どうやらこの世界には別にヤンが居る様子も伺えるなど不穏極まりないスタートです。

 

主人公始め、登場人物たちはレールの上しか動けない滑車つきの機械生命体です。これがまた素晴らしい仕掛けで、発売当時のPCのスペックでは紙芝居のようなゲームしか作れなかったのを、自然に舞台装置として活かしているわけです。主人公の「閉じ込められている、自由がない」という境遇にもぴったりです。住民たちは制限がありながらも狭い世界に満足して呑気に暮らしているように見えます。しかし主人公としてあちこち動き回り、この世界について探るうち、蔓延する歪みが顕在化していきます。

 

プレイヤーが真っ先に相対する歪みは雄機械・雌機械の区分でしょう。外部出力装置と軽やかな体を持ち、昇降機などの装置を駆動して動き回れるのが雄機械。大きな体に燃料生成器と燃料タンクを持つのが雌機械。そう、この世界の雄は、雌の作った燃料なしには生きていけないのです。雌もまた、雄が運んできた餌を食べ、雄の出力装置で生成器を攪拌されないと燃料を作ることができません。そして隠すことなく攪拌が性行為として描かれ、雄は燃料を求めて雌のいる店に並びます。この世界の雌雄は新しい世代を作るためには存在せず、互いに互いが居ないと生きてゆけないのです。そして体の自由がある雄に比べ、自力ではほとんど動けない雌は圧倒的に弱い存在です。性行為がなければ自らの分の燃料も作れない雌に対し、意に反して強引に攪拌・給油することも可能なわけです。治療装置にかけられたヤンの歪んだ性規範が序盤からはっきり示されてきます。この性規範の歪みを掘り下げるように物語は進んでゆくのです。

 

これだけでも充分な歪みなのに、ヤンがこの世界で雌機械を殺戮して回り、見世物小屋で虐待し、雌の減りすぎで燃料不足になると一番強い雌を魔改造して世界ほとんどの燃料を賄わせる……などやりたい放題の過去が明るみに出ます。雌がいないと生きていけないのに、自らの首を絞め続けるヤン。その苦悩の叫びは作品中にちりばめられています。暴力的な世界なのに、満ちているには悲しさでした。救われたいという叫びでした。この息苦しさがどこへ向かうのか見たくて、夢中でシナリオを進めました。「奇ゲー」「歪みゲー」などと評される本作ですが、こうして今なお人気作であり続けるのは、治りたい者への寄り添いを感じさせるからでしょう。

 

終盤、主人公はヤンが二つに分裂した人格の一つだったことがわかります。ヤンの暴力性を色濃く受け継いだ片割れと殺し合い、生き残り、パートナーの雌とともに世界を終末に導く主人公。主人公の中身はプレイヤーなので、当然ヤンの面影は欠片もありません。これが精神治療装置ガラージュの目的だったとしても、これは果たして「治った」と言えるのでしょうか? この漂白された人格を新しいヤンと言ってよいのでしょうか? ヤンが精神科にかけられる理由となった出来事はDVによるパートナーの死であり、とうてい許されることではありませんが、悲しみは拭いきれませんでした。

 

調べてみるとどうやらこのゲーム、分岐エンディングのようです。ほかのエンディングを見るとまた違う未来があるのでしょうか。時間を見て進めたいところです。

 

ぜひ表面上のえぐみに惑わされず、物語の持つ悲しみと温もりを感じてほしい。万人受けはしないでしょうけれど、とてもお勧めできるゲームです。

 

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【喝采の呪い】オッペンハイマー【ネタバレ有り感想】

 数々の名作SFを送り出したクリストファー・ノーラン監督の新作です。私は監督の大ファンですが、今回はSFではなく伝記風の作品とのことで意外でした。原爆の父オッペンハイマー博士がモチーフのため、高い評価を得ながらも日本での公開までにひと悶着あったとのことで、どんな映画だろうと不思議に思いながら行ってきました。

 

(普段ならここに映画の公式サイトへのリンクを貼ります。が、映画館の告知やメディア記事ばかりで、見つけることができませんでした。そんなところからもこの映画の立ち位置がうかがえます)

 

 アメリカの政治に疎い私には、大変難解な物語でした。映画は三つのパートを行き来しながら進みます。

1.オッペンハイマー博士が国際スパイの容疑をかけられ、国家機密へのアクセス権(=教職を含む公職につく権利)を失うまでの「聴聞会」パート。裁判じゃないので被告を守る法律の類いが一切効きません。一方的尋問でした。

2.オッペンハイマー博士と原爆や水爆について意見を対立させる、ストローズ議員の出世がかかった「公聴会」パート。ストローズ議員を要職につけようという議決がかかった場面で、悪意から博士の国際スパイ疑惑を仕組んだことが明るみに出、出世のチャンスを失います。

3.オッペンハイマー博士の「過去」のパート。本作のメインです。学生時代を皮切りに、原爆の開発から、自分の作った原爆の投下に苦悩し、その後の原水爆軍拡に反対し、軍拡派のストローズ議員と対立を深めていくまでが綴られます。

 特に1.2.は繊細な知的・政治的攻防が繰り広げられており難解でした。ただ演出が巧みなため、いいことがおきたか悪いことがおきたかは素人にもはっきり分かるようになっており、本作のメインである3.を邪魔はしません。

 なんといっても見所は音と光による、オッペンハイマー博士の苦悩の演出でした。映画序盤から折に触れて爆発音のような轟音が不穏を運びます。本作のクライマックスである原爆の投下後のシーンで、それはオッペンハイマー博士を称える喝采であったことがわかります。博士には爆弾の投下が何を意味するかわかっていました。しかし原爆を落とすか落とされるかの瀬戸際で頑張ってくれた仲間をねぎらうため、気丈を繕って演説します。極度の緊張の中で万雷の喝采は爆弾の音に重なり、想像の世界で生涯博士を呪うのです。

 本作への批判として、原爆の悲惨が描写されていない、という意見があるそうです。私としてはこの作品のみそは、当時のアメリカでは誰も想像すらできなかった原爆の悲惨を、オッペンハイマー博士が幻影ながら想像できたことにあると思っています。誰よりも物理に詳しかった博士は原爆の莫大なエネルギーが何をしたか、想像の世界ながら実感を持って感じていた、現実との区別がつかなくなるほど苦悩した、そう描写されています。後半のオッペンハイマー博士の苦悩は観ていて息苦しくなるほどでした。知の力で見えない悲惨を想像せよ。それは反戦のメッセージとして明確で、映像作品として瑕疵はなかったように思います。

 世界では今なお戦禍が耐えません。オッペンハイマー博士のような、選択肢を奪われ、進むことも戻ることもできなくなった天才が人知れず苦悩しているかもしれません。この映画が戦火を消す一石になればと願いました。

 

 

 

神田茉莉乃作品集 間にある言葉

神田茉莉乃さんの作品に出会ったのは、伊勢丹新宿店アートギャラリーの展示「誰も開けなかったキャビネット」です。狙って行ったわけではなく、バレンタイン催事場の順番待ち中に偶然たどり着きました。

https://www.mistore.jp/store/shinjuku/shops/art/artgallery/shopnews_list/shopnews0460.html

 

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この「飛ぶ視線、泳ぐ体」を見たとき、少しの間動けなくなりました。なんてことない部屋の片隅が目を向けるべき場所に変容して、特別の蛹みたいな作品です。もっとこの人の作品を見たい、できれば会って話してみたいと思いました。この人の作品には物語がある。しかしこの人が在廊していない今、この作品の重要な部分が欠落してしまっているような、そんな思いつきに囚われました。

 

すぐ近くに作品集の見本が置かれていて、手に取った瞬間買うと決めました。私はほとんど画集や作品集を買いません。インスタレーションを愛好する私にとって、写真集はその作品の一番大事な要素、その空間に私と在るからこそ映える部分が落ちてしまっているように思えるからです。しかし今回は逆に、なし得なかった対話は、作品の重要な部分はこれで補えるのではないかと思えました。

 

作品集はまる二ヶ月ほど経ってから手元に届きました。

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大ぶりの正方形、厚手のトレーシングペーパーを間に何枚も使っており、明らかに手製本です。時間がかかったのは作っていたからなのでしょうか。待っている時間すら対話だったのかもしれません。

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どこかたどたどしさのある手探りの言葉で、ご自身の活動のヒストリーが語られていました。このかたの作品は空間と響き合おうとしているのではなく、自他の境界と響き合おうとしているのかもなと思いました。展示会場で作品が自ら立たないのは、インスタレーションとしては未熟なのかもしれません。でも、作者と話してみたい、そう思わせる力は大変稀有に思えます。

 

経歴を見ると大学院を卒業なさったばかりのようです。就職なさったのでしょうか? 社会に出て、学校とは比べ物にならない数の人と対話した作者さんが、どんな作品を作るのかとても楽しみです。またどこかでお会いできますように。

 

 

 

麻布台ヒルズギャラリー開館記念 オラファー・エリアソン展

麻布台ヒルズに遊びに行きました。本来の予定ではなかったのですが、キービジュアルに惹かれつい吸い込まれてきました。

 

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↑『蛍の生物圏(マグマの流星)』

キービジュアルにもなっている美しい本作、しかし展示室が明るすぎてあまり光をいかせていないのが少し残念でした。


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↑『太陽のドローイング』

砂漠に大掛かりな装置を置き、太陽光のガラス玉への収斂で紙を焦がして作った作品。他にも「場」を転写する作品がいくつかありました。もし富豪になったら思い出の地をこうして転写してもらいたいです。


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↑『瞬間の家』

噴水というと水の流れを楽しむものですが、本作は逆転の発想で、水にストロボを当てることで写真のように水の流れを切り取っていました。水の音と香りも心地よい作品でした。

 

事前に「展示規模の割に割高」との評判は聞いていましたが、確かにこれで1800円はかなりお高いですね……。


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↑『相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』

ちなみにキービジュアルにもなっているこちらはギャラリーとは違うビルにパブリックアートしてあり、無料で見れます。角度ごとに飽きることない表情の変化を見せてくれました。

 

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ギャラリーから相互に(略)への導線上には多くのパブリックアートがあり、とてもお散歩に楽しい場所でした。ヘザウィックスタジオの『雲』(右に見切れているアーチ)の下は工事中でくぐれず、落ち着いた頃また伺いたいです。