「君の名は」「天気の子」が素晴らしかったので、同監督の新作が公開されたと聞き、早速観にいってきました。
全国に散らばる災厄の扉を閉めていく話とのことで、最初はファンタジー、フィクションとしてのんびりと観ていました。地震の描写があることは事前に警告されていましたが、まぁ日本人にとってメジャーな災厄といえば地震だろうなとしか思っていませんでした。
しかし後半で度肝を抜かれることになります。
すずめが扉の向こうに囚われた草太を助けるため、子供のころ迷い込んだ扉を探そうと日記帳をめくると、黒く塗りつぶされたページの日付が3月11日なのです。すずめの人生が、彼女の強さと優しさが、圧倒的なリアリティを持った瞬間でした。物語が、今現在と地続きのものとして立ち上がり、その後は他人事としてみることができませんでした。すずめの「死ぬのは怖くない」が「死ぬのは怖い」に変わった瞬間、彼女が本当に大災害を受け入れた瞬間に見え、涙が止まりませんでした。
地震には敵がいません。理不尽に見舞われながら、恨む相手がいない。それはとても苦しいことです。多くの理不尽があやかしで説明されてきたように、恨む相手のなさにあやかしの形を与える、物語られる物語ることでしか呼べない救いもあると思うのです。
また、最後草太は、扉は人の温もりが遠ざかった場所に開くと言いました。震災から十年余、この物語が果たす役目の大きさは計り知れません。
しかし草太はイケメンなばかりに無自覚にカミから人間への恋に割って入り、椅子に変えられてしまったように見えます。イケメンも大変ですね。全体的に理不尽への相対が巨きなウェイトを占めるこの物語を説明するような理不尽。そして形見のイスの存在感と、淡い恋心と、すずめの性格が響き合い、すずめを物語に巻き込む上で自然な展開となっていました。ただのイケメンとの旅であれば、これほどのカタルシスは産まなかったように思います。
細かく語りたいところはたくさんありますが、早めに観にいくと貰える小冊子「新海誠本」と内容が被りそうなので筆を止めます。このあとは「新海誠本」のインタビュー等を読んで余韻に浸りたいと思います。