千住のコンテンツ感想ノート

美術展・ゲーム・書籍等の感想

【自生思考の文学】破局【芥川賞受賞作】

第163回芥川賞受賞作、遠野遥の『破局』を読みました。同氏は芥川受賞の前年に文藝賞でデビューしたばかり。二作目で文壇を制覇した超大物新人です。こわい。

 

↓デビュー作『改良』の感想はこちら 

senju.hateblo.jp

 

本作のあらすじとしては、マッチョでエリートな大学生が不注意とも言える浮気から破局し、彼女を追ううちに通行人を殴っておそらくエリートとしての人生も失うであろう、というだけのもの。

刮目すべきは一人称視点で描かれた主人公の自我の破れです。

 

主人公は肉体にも頭脳にも恵まれ、他人から見れば自制心が非常に強い優秀な大学生でしょう。しかし一人称視点で始まるこの物語の序盤からすでに、それが砂城の楼閣であることが示唆されています。主人公は道のチワワやナンバープレートをまるで自分ごとのように深々と気にする反面、自分の感情に対して「すべきだろう」「だと思っているだろう」などと他人事です。成熟した大人であれば自分から同心円状に引かれている自我境界の遠近法がめちゃくちゃなのです。自制心が強いのではなく、制するべき自分がないのだと、読者は間もなく気付かされます。

 

まるでその場面には関係ない、本人も考えようともしていない、どうでもいいものが強い意味を持つかのように地の文にグイグイ食い込んでくる様は、統合失調症の初期症状である「自生思考」「妄想気分」を思わせます。そして関係ないはずの物から発せられる大量のメッセージに見舞われるがゆえに、今このとき目の前の出来事にどんな感情を抱いたのか主人公は自力で観測することができません。中盤には旅行中に突然泣き出したのに「悲しむ理由がないということはつまり、悲しくないということだ」とまで言い出します。

 

意味の重さが逆転している世界。自分で観測できない自分。その二因による行動の支離滅裂から、感情を伴わない性行為だけの淡々とした浮気がおこり、主人公には彼女との破局が導かれます。しかし自分で自分を観測できない主人公の中では因果関係が破綻しており、まるで天災に見舞われたかのような面持ちで恋人を追い、立ち塞がる通行人を殴っては、自分を捕まえた警官に感謝したりと認知が現実からゴリゴリ剥がれ落ちるラストを迎えるのです。その後警察署に連行された主人公の言うことが妙に冷静で妙に他人事かつやや了解不能な所まで見えてくるようでした。

 

他人の脳の中は覗くことができません。犯罪者の頭の中は尚更推測することも難しい。それを示唆するように作中のテレビには何度も犯罪者のニュースが映ります。そのニュースに理解も共感も示さなかった主人公が犯罪のタネを抱え続け、いつ「破局」してもおかしくない現実の上を綱渡りする様を見せつけられ、とんでもなく頭が疲れました。タンパクなようでいてカロリーの高い、非常に芥川賞受賞作らしいマスターピースでした。

破局

破局