千住のコンテンツ感想ノート

美術展・ゲーム・書籍等の感想

【男性論6冊連続ブックレビュー】男の先輩と喧嘩した

 その男性は職場の先輩であり、パートとして入ってきた私を、知性ある人間として丁重に扱ってくれた。当時、非正規雇用で体が弱く貧しい身なりの私を一人前扱いしてくれる男性はほとんどいなかった。彼がくれた古本で私は資格を取得し、入社試験にトップで受かって正社員となった。私は先輩を見かけると大喜びで話しかけ、いつしか毎夜駄弁るようになっていた。私が大学に入り直すつもりで、あなたが専門とする学問にも興味があると言うと、彼はホワイトボードの前に立った。

 教える教わるの関係になったのは間違いだっただろうか。いつしか彼は一方的に話すようになり、私の話を早々に切り上げるようになり、私の言葉を取り合わなくなり、私の知性を否定するようになった。ある夜、私はホワイトボードにこう書いた。『今日はホワイトボード使わないで雑談しましょう。信頼関係の維持は自己開示の応酬から!』彼はそれを見てこう言った「個人情報なので勘弁してください。話すことなんてないですよ」。私は腹を立てて帰宅した。

 短気は謝罪したがそれ以来、彼は高圧的な態度しか取らない。

 どうして男性ってこうなってしまうのだろうか。その謎を探るため、私はAmazonの奥地へと向かった。

 

一冊め:どうして男はそうなんだろうか会議

 以前本屋で見かけたのを思い出し、真っ先に手に取った。今の感情とぴったりのタイトルだと思った。

 男性論のフィールドで活動している研究者等を次々に呼んだ、対談の記録となっている。ゲストは全員が男性だ。「女性が勝手に語る男性論なんて」という言説が最初から封じられている。

 対談を横目に見る形となるので、言説には手心がない。当事者が読むには耳が痛すぎる気もするが、知りたいことがシャープに表現されており、知識欲が満ちるのを感じた。対談がそのまま登壇者の著書の要約のようになっていることもあり、次のステップにも進みやすい。

 

二冊め:「非モテ」からはじめる男性学

 一冊めの対談に登場していた「ぼくらの非モテ研究会」代表の著作。

 対談形式では切れ味の鋭い発言をしていた著者だったが、今回は読者の視線を想定しているぶんの優しさを感じる。新書という読みやすい薄さ、持ち歩きやすさも相まって、気負わず読むことができた。

 しかし文体の柔らかさに反し内容は濃い。非モテの陥ってしまう負のスパイラルを、男性同士の関係、男性対女性の関係から解析しており、個人の責に終わらない。「追い詰められる非モテ・自分を追い詰める非モテ」の図からは、女性からは見えない男性社会の力関係が見てとれる。人間性を剥奪された男性に、女性の人間性を尊重するのは難しいだろう。

 

三冊め:よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門

 一冊めの会議のホストの著作。近所の書店には女性向けエッセイのコーナーにあったが、内省する男性向けに書かれている。

 多くの女性から集めた悩み相談を、男性に広く見られる失敗ごとに分類するという方法で描かれた本。文章も平易で、ジェンダー論ではなくエッセイの棚に置かれていたのも頷ける。繰り返し登場するのは、男性ゆえの優位性をふりかざしてしまうタイプの失敗だ。身体的にも社会的にも強大な側が、それを利用して不機嫌や無関心を「便利に」使ってしまうという、暴力の3歩手前。踏み止まれたら、本当のプライドを持って生きられると思う。それはこれから歳をとり、職位を上げていく女の私も持っていなければならない矜持だ。

 

四冊め:女性学・男性学

 人文社会系入門書のレーベル、有斐閣アルマのもの。良書が多く、本書も例に漏れない。ジェンダー論の初学者が直面する難しさとして「自分のいる側の主張しか信じられない」があると思うが、歴史経緯と数値データを詳細に踏まえながら具体例が語られており、説得力の塊である。

 特に出色なのは、ジェンダー論の重要な両輪として男性学の視点を最初から重く扱うところだと思う。ジェンダー論の入門書には、被差別階級である女性からスタートし、そして”ついでに”男性の話もするという姿勢に終始してしまうものも多い。

 若者向けに書かれており、考え方の可塑性を信じるような書き方がされているため、攻撃性がなく受け入れやすいと思う。ただ今まさに目の前の男と喧嘩している私が読むには巨視的すぎた。

 余談だが、弊社では地位の高い人ほど中性的であり、それを不思議に思っていた。この本を読みながら、中性的振る舞いは男に生まれた有利を武器にしなくても仕事ができるという、多様性の時代をリードする覚悟ができているという、令和の有能さの主張なのだろうと思った。

 

五冊め:マチズモを削りとれ

 一冊めのゲストの著作。若い女性編集者の感じる怒りを、大柄な男性である筆者が体験してみるという形式の連載エッセイ。まだ声を奪われていない編集Kさんの怒りと、優位な立場に生まれながら「男、めっちゃ有利なのだ。男、めっちゃ優位なのだ」と唱えながら世界を知ろうとする筆者の姿に強く勇気づけられる。Kさんについて「まだ声を奪われていない」と表現してしまったが、生きづらさを諦めてしまい、抗議の声を奪われたと感じているのは私だけではないだろう。

 先輩が私の話を取り合わなくなって、ここに載っているようなマチズモに繋がりそうで怖かったのだと、やっと声になった。

 

 

六冊め:説教したがる男たち

 五冊めの中で引用されていたエッセイ集。私の出したかった声はこれだ、と思った。表題作を読みながら少し涙が滲んでしまった。一人前の人間として発言を取り合われなくなった。その程度、ではないのだ。繋がっているのだ。人間性を踏み躙られることに。社会にはびこる重苦しい悲劇に。その悲しみを圧倒的な筆力で畳み掛けてくる様は、時間を感じさせないプロのスピーチのようで、いつの間にか読み終わっていた。

 

 

 『今日はホワイトボード使わないで雑談しましょう。信頼関係の維持は自己開示の応酬から!』

 おどけた丸文字でそう書いたとき、私の手は震えていた。勤続年数、学歴、性別、健康状態、何を取っても彼の方が強い。彼が私を拒否するのなんて簡単だ。それでも親密な上下関係ではなく、信頼関係がほしかった。

 信頼関係は自己開示のやりとりによって作られるというのは、他ならぬ彼がくれた心理学書にあったことだ。なのにあっけなく拒否されてしまった。あの日私は怒って帰ったというより、悲しくてあの場にいられなかったのだ。

 降りてこい。そう思った。私に一方的に話せる場所から降りてこい、と。どう言ったら伝わるだろう。何をすれば伝わるだろう。彼の知性とプライドは、今どちらが優勢だろう。彼が私の知性を信じてくれたように、私は彼の知性を信じられるだろうか。